『墓場の鬼太郎』 鬼太郎メジャー雑誌への初登場の時


1965年、『週刊少年マガジン』に水木しげるの『墓場の鬼太郎』が掲載されました。
これが、「ゲゲゲの鬼太郎」のメジャー舞台への初登場、でした。

(『ハカバキタロー』という題名で戦前、伊藤正美と言う人の作の人気紙芝居が存在していたそうです。1954年、紙芝居作者をしていた水木しげるが同じ題材で書くように勧められ作者承諾の上で新作紙芝居として書き上げたのが、その後の鬼太郎シリーズの原型になりました。その後、貸本漫画家に転身した水木は1959年から1964年にかけて鬼太郎シリーズを読み切り短編漫画として書き続けています。)


少年マガジン掲載当初はあまり人気にもならず、一時は掲載打ち切りになりかかりましたが、貸本時代以来の読者や大学生からの支持もあり、

その後、1967年から正式に連載されることになりました。


ちょうど同じ頃少女漫画では楳図かずおの『へび少女』等の恐怖マンガが大ブームになっていました。

またテレビでは『ウルトラQ』『ウルトラマン』が放映され空前の怪獣ブームにもなっていました。




楳図かずおの恐怖マンガでは作者の見事に美しい絵の世界が瞬間に恐怖に変わる、皮膚感覚的な恐ろしさがありました。

怪獣は非日常の空想の世界です。
日常とは全く違う次元で空想に楽しみストレスを解消してくれる開放感があったような気がします。

鬼太郎=水木の世界はそのどちらともかけはなれていました。

少年誌の読者にとってはそれまで見たことのない空間だったと思います。

必ずしも美しいとは言えない水木しげるの絵は、その分奇妙なくらいのリアリティを持って迫ってきます。

すぐそこにありそうな風景。

その辺にいそうな人物。

そしてそこに昔から言い伝えられている妖怪達。

きれい事ではない人間と、その人間の弱みを知り尽くしている妖怪達との戦いは楳図ワールドの瞬間の恐怖とは違う重い淀んだ怖さがあったような気がします。






やがて安定した人気を得た『鬼太郎』は1968年にテレビアニメ化も果たし、作品名も『ゲゲゲの鬼太郎』と改題。(テレビ放映にあたってスポンサーから「墓場」という言葉に抵抗があった、ということのようです。ちなみに「ゲゲゲ」は水木の子供時代のニックネーム「ゲゲ」に由来する、とのこと)水木しげるの代表作となっていきました。